カルーセル麻紀の現在!母のたんすの中身や美の秘訣のピンヒールなど




こんにちは、えりえりです!

 

3月1日(木)「徹子の部屋」のゲスト・カルーセル麻紀さんについて第二弾をお届けします。

 

今回はお着物の姿で優雅に登場されています。着物姿の女性は美しいですね。

日本の美そのものです。

 

華やかなドレス姿ももちろんそれはそれで良いのですが、やはり日本人として最も美しさを表現できるのは和服だと思います。

 

若い頃にパリに住んでいた経験があり、現在もヨーロッパ旅行が趣味だというカルーセル麻紀さんなので、日本の伝統のある美しさにはとても敏感なことでしょう。

 

ピンクの桜模様と子供の絵をあしらった着物をお召しでした。

 

カルーセル麻紀 着物

 

それでは、今回は番組でも触れられている、カルーセル麻紀さんの母についてや、美の秘訣であるピンヒールについて書いてみたいと思います。

 

 

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カルーセル麻紀「母は心の支え」

カルーセル麻紀さんのお母さんは、平原きぬゑというお名前で、2005年5月5日に93歳でお亡くなりになっています。

 

15歳で家を飛び出し、全国各地のゲイバーを渡り歩いて強く生きてきたカルーセル麻紀さん。

男性遍歴が豊富で、性転換手術も日本人として初めて受けた彼女に、怖いものはなかったでしょう。

 

性転換手術は、当時日本ではまだ違法だったため、モロッコへ渡って受けたんですね。

1973年のことでした。

モロッコへ行くというだけでも、当時の日本人には珍しい渡航先だったと思います。

 

その手術は、時には命を落としてしまう人もいるというほど、危険なものでした。手術後、40度以上の高熱が続いて、実際ご本人も危険な状態にあったそうです。

 

カルーセル麻紀さんは、そんな危険をおかしてまでやり遂げたかったのですね。心の中にはいつも母の面影があったのでしょう。

 

「いつか、かーさんが死んじゃったらどうしよう」と考えるだけで泣けてしまうほど、お母さんのことが大好きだったそうなんです。

 

本当はとても繊細な一人の人間なんですね。カルーセル麻紀さんも。なんだか良い話です。ちょっとほろりときますね。

 

母は一番の理解者だったといいます。

なんでも許してくれて、愛してくれた母。

 

マスコミに叩かれても、どんな辛い目に合っても、母の愛があったからこそ、自分を信じて強く生きてこられたのだそうです。

 

カルーセル麻紀さんには他に9人の兄弟がいるという大家族。

お母さんは答えたそうです。

 

10人の子どもは皆可愛い!と。

 

たとえ話をしてくれたそうです。

 

あなたにも10本の指があるでしょ。

その中のどの指を切って無くなっても同じように痛いでしょ。

それと同じで私にとってどの子がいなくなっても哀しいし、どの子も皆同じように可愛いのよ。

 

 

実は、きょうだいの中でも自分がちょっと他の兄弟と違うことを気にしていたのでしょう。

えりえり
自分も同じように愛されているのだろうか、悩んでただろうね~
ママ友ゆり
切ないよね。

 

 

なにしろ、きょうだいの結婚式で出席できたのは、一番下の妹さんのときだけだったらしいので。

兄弟や親せきに迷惑をかけると思い遠慮していたのだそうです。

 

お母さんからは「夜中においで」と言われ、実家に帰るときはいつも真夜中だったそう。

ご近所の目があるから。

でも、お母さんはちゃ~んとおいしいご飯をたくさん用意して待ってくれていたそうです。

えりえり
 愛情を感じる~!

 

その他にも、戸籍の名前と性別を変えたことに関しても、「麻紀の人生だから麻紀の思うように生きていけば良い」とか「私にとっては、男でも女でもなく、麻紀は私の子どもだから」とコメントを残していたそうです。

ママ友ゆり
素敵なお母さん!!!

父が対照的に厳格な分、母からのこれほど強い愛情を確認できたことで、カルーセル麻紀さんは涙を流しながら喜んだことでしょう。

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直接は聞けずにインタビューだったそうですが、直接聞いたら恥ずかしかったかもしれませんね。

 

母の箪笥(たんす)から見つかったのは

お母さんの箪笥(たんす)の中から見つかったもので、驚いたもの。

それは3つありました。

 

まずは、たくさんの新しい帯や足袋など、和装に必要な小物。

お金がないわけではないのに、つましい生活をしていたそうです。

ぼろぼろの長じゅばんを着ていたんですって。

 

2つ目は、知らない男の人の写真。

お茶やお花の先生をしていて、女の子によくモテたというその人は、10代後半で自ら命を絶ったそう。

母の弟でした。

 

カルーセル麻紀さん曰く、母の弟はオネエ系だったらしく、思い悩んで苦しんで自殺したそうです。

 

えりえり
 お母さんは、その弟の存在をカルーセル麻紀に伝えたかったんだね。
ママ友ゆり
はっきりとは言わないけど、そういう辛い過去があったんだと。

 

 

 

そして、3つ目は、母が亡くなってから見つかったもの。

兄弟全員分の預金通帳と印鑑

母の没後、きっちりと平等に分けたそうです。

そのお金とはカルーセル麻紀さんからの仕送りなので、長男や長女ではなく、麻紀さんが分けたんですって。

 

これらのことからも、麻紀さんのお母さんは本当に子ども思いで、子どもを大事にしていたんですね。素晴らしいお母さんです。

 

亡くなったとき、病室には孫やひ孫、玄孫(やしゃご)までぞろぞろにぎやかに集まっていたんだとか。

 

ちなみに、カルーセル麻紀さんは子どもがいないので、亡くなったら財産は全て甥や姪にあげるそうです。

 

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美の秘訣は13センチのピンヒール

13センチのピンヒールを履いて、舞台で歌と踊りを披露してくれたカルーセル麻紀さんですが、舞台だけでなくプライベートでもピンヒールはよく履いているそうです。

 

13センチと聞いただけでも、歩けるの?と心配してしまう私ですが、彼女は踊っています。

さすがです。

 

今回スタジオに持参したのはValentino(ヴァレンティノ、バレンチノ)のハイヒールでした。

 

いきなり履いて踊れるわけではないので、普段から履いて慣らしているらしいですよ。

いざというときにサマになるように練習しているんですね。

えりえり
そのプロ意識はあっぱれです!
ママ友ゆり
でも、足はやっぱり痛いでしょうね。

 

ハイヒールが履けなくなったら芸能界辞める

 

とまで言っているので、大事な商売道具でもあるんですね。

 

以前にも、2012年の杉本彩さんの披露宴でクリスチャンディオールの13センチのハイヒールを履き、踊りまくったそうです。

紫のレースが施されてとても素敵なヒールです。

 

こちらはカルーセル麻紀さんご本人の撮影

 

プライベートでもヒョウ柄のピンヒールを履いたりと、とても華やかな足元をしているという、美に気を抜かない意識の高さは、女性からすると尊敬のまなざしですね。

 

ハイヒールの三大有名ブランドというと、

 

セルジオ・ロッシ

クリスチャン・ルブタン

マノロ・ブラニク

 

ですが、マドンナやレディーガガ、「セックス・アンド・ザ・シティ」のキャリーが履いて、憧れる女性も多いですよね。

 

カルーセル麻紀さんならどれもかっこよく履きこなしてしまいそう。

 

脚の筋肉が強くないと履きこなせないので、お家で筋トレもこっそりやられているかもしれないですね!

 

 

 

おわりに

いかがでしたでしょうか。カルーセル麻紀さんのこころの支えであった母について、また美の秘訣であるピンヒールについて書いてみました。

女性としての生きていくために覚悟を決めて生きてこられたカルーセル麻紀さん、その彼女を支えてくれたのはいつも母だったのですね。

そして、そんな彼女の「女の武器」とも言える美の秘訣はピンヒールです。

これからもますます美しく元気に活躍して欲しいですね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました☆

 



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